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携帯キャリアの生い立ち

携帯キャリアの生い立ち


携帯キャリアは今まで統廃合を続け実質的に既存キャリアとしては2007年12月の執筆時点でNTTドコモ、au/KDDI、ソフトバンク、イーモバイル (2007/12現在音声通話なし)の4社となっています。


今回のコラムでは、携帯キャリアがどのような生い立ちで生まれ、どのように変遷してきたのか辿っていきたいと思います。これを考える事で事業展開する時の横の繋がりの一端が理解できると 思います。


NTTドコモ) まずは最初にNTTドコモですが、言わずとしれた元々の会社はNTTで移動体通事業本部が核となっています。この事業部が1991年8月に分離して NTT移動通信規格会社が設立されました。ここが最初の原点になっています。この会社は技術部門であるため、後に営業面を拡大していくためにNTT移動通信網株式会社を作り全国に展開していきました。


この時期が1992年7月でNTTドコモというブランドもこの時点で生まれNTTと完全に分離しました。そして現在に至るまで地域会社と統廃合を繰り返しています。又PHSを展開していたNTTパーソナルズも1998年12月にNTTドコモに吸収されました。


やはり歴史を辿って見るとわかるのは自動車電話からスタートしており普及を促進するために地域子会社が沢山あった事がわかります。現在は地域子会社は統廃合が進んでいます。これは携帯電話がある程度生活に浸透した事で携帯端末販売以外に必要となる事業が少なくなってきた事が挙げられます。


次にNTTドコモの横展開ですが、エリアを拡大するには前出で紹介の通り基地局が要になってきます。その点でNTTドコモは電話局の鉄塔などの設備を使えるというメリットがあります。 そして地域会社を沢山持っていた点でも、過去の経緯上そのスペースを間借りして拡大していく事ができたのはNTTドコモとしての最大のメリットに繋がりました。


KDDI/au) 現在のauはブランド名であり、正確にはKDDIが携帯電話と固定系電話網を提供している会社です。この会社は電話系の会社が沢山合併してできた会社である事は有名な話です。KDDIとしてのスタートには3社の合併があり、IDO、DDI、KDDの3社が統合してできた会社になります。


元々の携帯事業の前進であるIDOはトヨタ系の移動通信子会社でした。かつて創業当初は自動車に載せる自動車電話(NTT製)を販売する会社でしたが時を経てIDOは独自で携帯電話を独自で開発販売するようになりました。当初はPDCという日本の標準通信方式を使用していましたが、cdmaOneという新たな通信方式を日本の携帯市場に投入し注目を浴びました。


そして2つ目の合併したDDIは、京セラが長距離通信会社として出資して作った会社になります。こちらは、PHSの事業会社も持っており現在の WILLCOMの前身になります。 3つ目は国際電話のKDDになります。この会社は電々公社時代に分離した国際電信電話が前身となります。


以上3つの会社が2000年に合併しできた会社がKDDIになります。その以降も2005年には日産系移動通信会社のTukaを吸収合併、2006年には東京電力系通信会社のパワードコムを吸収合併しました。


KDDIの展開はIDOの前身のひとつ日本高速通信(高速道路系会社)が主体になっているため高速道路の架線下を使用して基地局幹線を全国展開し、又 DDIやKDDの各地にある設備を流用したり、間借りして同様の展開を図ってきました。後の買収したTukaやパワードコムに関しても広範囲に敷地や施設を持っているため、KDDIにとっては非常に都合の良い吸収合併となっています。


ソフトバンク) ソフトバンクモバイルは、歴史的に買収等で翻弄された会社というイメージが携帯キャリア業界の中でも非常に強い会社です。


そもそもこの会社の前身は、日本国有鉄道が分割民営化された際の一つで鉄道通信株式会社が基本となっています。その後、長距離通信会社の日本テレコムと合併し新たな日本テレコムが誕生しました。東名阪においては日本テレコムが主体となりデジタルホン会社を設立しました。それ以外の地域に関しては日産自動車と共同でデジタルツーカー系6社を設立し拡大を図っていったのです。


この全体で9社の集合した移動系通信会社Jフォングループは後発組みのキャリアであったこともあり、周波数帯域の割当では不利な1.5MHZを使用しての展開になりました。


しかし藤原紀香を使ったJフォンのイメージアップと音声品質の良さから急激に首都圏を中心に徐々にユーザを拡大していきました。2000年以降は更にロングメールや写真付メールを世界初で携帯電話に搭載した事から成長が加速しJフォングループの中でも会社が統廃合が進み最終的に1社に集約されました。


ところが2001年にはVodafoneにその斬新な技術力や携帯サービスがかわれて買収されてしまいました。この後からがVodafoneという外資による組織改革が始まりヨーロッパ流の経営方針、展開の仕方を用い展開しましたが、日本企業が海外に日本流の携帯電話を持ち込んでも売れなかったように、その逆の現象でVodafone流の経営は日本市場ではむしろ後退する要因を作ってしまいました。日本は携帯キャリア主導で動く携帯文化であり最先端技術を駆使して展開することから、無線回線売りを基本とする海外携帯事業者の考え方はマッチしなかったのです。


そして遅れをとってきたVodafoneが2004年あたりから国内企業へ売却する噂が度々メディアで報道されようになり、最終的には2006年の3月にソフトバンクへ売却という話になったのです。


さてソフトバンクの展開ですが基本はJR系の通信会社が前身といいうこともあり、展開にはJRの全国の駅や線路沿いに横たわっているファイバーが幹線となって基地局の設置を広げてきました。しかし首都圏中心に以前は展開していたため、ソフトバンク買収後は加入者獲得のために全国に満遍なく基地局を設置しようと2006年から2007年にかけて大幅に設置しました。(通常の4倍の基地局数47000基)今ようやくNTTドコモとauと本格的に競争できるベースのインフラができたと言えます。


イーモバイル) 既存3キャリアに続けと、総務省より新たに免許交付が2005年11月に発行された通信会社2社のひとつ。もうひとつのキャリアIPモバイルは結局 2007年10月30日に自己破産申請し事実上継続断念となった。


イーモバイルの由来は「イー」から想像する通りISPの足回り事業(ADSL等)を行っているイーアクセス傘下の子会社になります。主要出資先はゴールドマンサックス、東京放送、三井物産等。


展開当初はデータ通信のみを提供する携帯キャリアとしてスタート。2008年には音声もスタートする予定(音声のみNTTドコモの足回りを当分の間ローミングで賄う予定)。


データ通信に特化し、最初から東名阪地区で自前で基地局を設置。通信はHSDPAを使っていることもあり、サービス開始からじわじわとユーザへ浸透しています。従来のデータ通信カードユーザであるNTTドコモのP-inユーザやWILLCOMのデータ通信ユーザから乗換えが生じている事が可能性として高く、実際にユーザ数の2007年度の推移からユーザの移動が生じている事は間違いありません。


やはり高速通信で定額制が魅力な事もあり2007年の後半からのユーザの伸び数は当初の計画より上まわっています。(2007年11月現在で16万ユーザ。)


今後の加入者増は、エリアの拡大がなければ結果的に増えないため基地局の建設とローミングの仕組みを早急に導入していかなければ他キャリアのデータ通信カードシェアを奪われてしまう可能性もあります。その意味ではまだイーモバイルも安心できない状況なのかもしれません。


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